ナースとして離島で働く日々

鹿児島の看護師求人ガイド~離島医療の現状~

看護師求人から離島医療の解説まで~鹿児島のすべてがここにある!

ここに来て良かったと心から思えたエピソードをご紹介!離島ナースの奮闘をご覧ください。

とある看護師が語る離島医療の厳しさとやりがい

離島ナースとして診療所で働くようになって、日本が“どこに住んでいても高度な医療を受けられる先進国”となるには程遠いという現実を知りました。

離島ナース曲がりなりにも医療系の専門職に就いている私でさえ驚いたんですから、世間一般の認識はもっと現実と乖離しているんだろうな~なんて思ったことも。

私のように本土から離島へ行ったナースの中には、想像を絶する厳しさにリアリティショックを起こしてしまい、わずか1ヶ月で本土へ戻っていく人もいます。正直、私自身も最初のうちは本土へ戻る理由ばかりを探していました。離島なんて、私みたいな都会でぬくぬく育ったナースがいられるところじゃない…と何度思ったことか。

しかし、あと2週間頑張ろう、来月までやってみよう、と自分を奮い立たせるうちに、とうとう私は離島ナースとしてこれからの5年10年を過ごそうと考えるようになったのでした。

方言が聞き取れずに信頼関係が築けなかった日々

高齢患者私が最初に直面したのは“高齢患者さんの方言がキツすぎて、何を言っているのか全然分からない”という問題でした。

本土の病院なら、コミュニケーションが満足に取れていなくても“患者は患者、医師や看護師の指示には従うだろう”という認識で問題が起きませんでしたが、離島では違います。

狭い社会ですから、基本的に患者も医師も看護師もみんなが顔見知りという環境。そんな中で、満足に会話もできない新入りを簡単に信用はしてくれないのです。

高齢の方は年齢的なプライドもありますから、尚更です。若いナースがろくに会話も成り立たないのに、自分の身体をどうこうするというのには不信感があるのでしょう。

そのため、最初のうちは私のことを無視したり、私の前で「他の看護師さんはいないのか」と仰る方さえいらっしゃいました。私のほうといえば、患者さんが“私以外の看護師に頼みたい”と言ったのさえ聞き取れず、後からベテランの方に伝え聞いて時間差でショックを受けていたという有様です…。

当初「こんなところに来るんじゃなかった…」「いくらなんでも看護についての知識もないくせに失礼な人たちだ」と憤慨していましたが、今思えば私のほうこそ間違っていたのです。

場合によっては命の懸かる現場で、会話も出来ない相手に身を委ねるなんて出来るわけありません。もし自分が言葉の通じない外国で体調を崩して病院にかかったら、どんなに心細い気持ちになるだろう…?そう考えた時、努力しなきゃいけないのは私のほうだと気づけたのです。

患者さんと向き合いながら前進!

私が最初に改めたのは、たとえ内容が良く分からなくても、患者さんの言葉に笑顔で頷きながら耳を傾けるということでした。そして、時間が空いた時に方言について調べ、よく出てくる表現だけでも覚えようと努力しました。「ケンソーメッカリモーサン」が“おはようございます”、「オーキンナー」が“ありがとう”という具合に、ネットで調べたり、同僚ナースの方にイントネーションを教えてもらったりして、挨拶やお礼など日常的な表現を理解していったのです。

そうしているうち、私に対して冷たかった患者さんも、時々声をかけてくれるようになり、私が行うケアを受けてくれるようになっていきました。もちろん充分に会話が成り立つというほどではありませんでしたが、向こうも意識して標準語に近い表現を選んでくれたりするようになったのです。

朝焼けそしてある日、夜勤明けに朝焼けに染まる空を眺めながら“綺麗だな~、色々大変だけど来て良かったかな”と思いつつ、家路を急いでいると…1人のおばあちゃんが私のほうへ。なんと私にお漬け物を差し出して「大変だねぇ、これ食べてよ」と声をかけてくれたのです。

なんとその人は、最初の頃「他の看護師はいないのか」と言っていた、あの人…。“あぁ、認められたんだ…”とホッとすると同時に、自分がひとまわり大きくなる機会を与えてくれたんだと素直に感謝することができました。

お礼を言って受け取り手を振って帰ろうとすると、別れ際「ずっと住むんだろ?」という一言まで頂き、私ははじめて心から“勇気を出して離島に来て良かった”と思えたのです。

今は、出来る限り長くこの島でナースを続けたいと考えています。